雷さんの嫁はアタフタする

国際結婚をした自身の体験記や自身の書き残したかった日常

中国へのはじめの一歩

今でこそ国際化・研修生・街中でもいろんな国の方を見かけますが、私の小さい時はテレビの中の世界でした。(田舎者か)
英語がしゃべることができたら世界中の人と話すことができるんだ。と信じていたので、結構頑張ったんです。
中学三年間自分なりに。
でも、英語の成績は全然ダメだった。単語が覚えられない・・。

その反動もあってか高校は商業科。英語は必要最低限しか選択しなかった。
その必要最低限もなかなか悲惨な成績。
そんな私が大学に行くようになる。

大学は結構ここら辺ではそこそこ有名な大学だった。
ここで、高校時代に英語から逃げてきたツケが回ってきた。

はっきり言って全然わからないのだ。
簡単な文書ならともかく複雑になるとさっぱりわからない。
単位を取らないと卒業できない。単語を一つ一つ調べる日々。
無事ぎりぎり英語は単位をとれて大学卒業できたわけだ。

脱線したが、中国語に出会ったのは大学に入ってからだった。
私は情報学科だったので英語以外の語学は必須ではなかったが、中国語を選択した。
その理由は

「高校の時に友達と読んでいた封神演義の漫画の影響と、中華料理が食べたいから。」

というかなりよからぬ思いで選択した。
もちろんたくさんの友達も一緒に授業を受けた。

ピンインから始まり、ニーハオから始まり、英語と違って積極的に授業に参加したし、先生とも仲良くなった。
大学時代に先生と仲良くなったのは中国語の先生だけだった(笑)

二年生の終わりになると情報学科から中国語の授業に参加するのは私だけになってしまった。(みんな脱落していっちゃったのです)
三年生の時短期留学の参加を決意した。
当時の自分にとってはめちゃくちゃ大きな決断と大きな一歩だった。
正直参加するかしないかかなり迷った。
そんな時一つ上の先輩が励ましてくれた。語学に自信がないのは当たり前で、行くだけでも価値があると。

私はまだ中国語はそんなに話すことができないが、できないなりに努力していたと思う。
そんな自分が中国に行って一番ショックを受けたのは自分にというか、日本の学生にショックを受けたという感じだった。

中国で日本語を習っている中国の学生と、日本で中国語を習っている日本の学生と会話しても断然に中国で日本語を習っている中国の学生の方が日本語(第二外国語)がうまい。
差は歴然でめちゃくちゃショックを受けた。
日本の外国語選考の人も一緒に行ったが・・・。

これがきっかけで中国という国に目を向けていくようになる自分がいました。