雷さんの嫁はアタフタする

国際結婚をした自身の体験記や自身の書き残したかった日常

中国へ短期語学留学に行った時の話(きっかけ)

私が初めて中国に行ったのは大学3年生の時。
もう15年以上前の話だ。(これを書いているのは2020年)

短期語学留学の前に、私と中国語の出会いから。

私は大学生の時情報学科というコースで、英語は必須でしたが、英語が理解できなさ過ぎて嫌で嫌で。
いつもギリギリで単位をとっていました。
そのほかの外国語は任意で、せっかくなので中国語の授業を受けることに。

理由としては中学~高校時代、少年ジャンプで「封神演義」が連載されており、私はめちゃくちゃハマっていた。
それが中国語の授業を受けるきっかけになるんだから、私にとって封神演義は人生をぐいっと変えたといっても過言ではない。

そもそも外国語専攻以外の学科の人が英語以外の授業を受けるのは初めの簡単な初歩の授業を受ける人はたくさんいるが、残っていくのはやっぱり外国語専攻の人だけ。
結局私と同じ情報学科の人は皆リタイアしていき、残ったのは私だけになったな。

私はそもそも漢字もあまり得意ではなかったが(じゃあ何ができるんだといわれると困る・・)、私にとっては英語よりも楽しかったし、スタートラインがみんなだいたい同じだったという事もあり自分なりに頑張っていた。
中国人の先生とも仲良くなって結構先生の部屋に中国語のクラスで仲良くなった友人と入り浸っていた。
中国語の先生たちにも、「あなたはなんで外国語専攻じゃないの?編入しなよ~」なんて冗談言われていた。
そもそもの専攻の情報学科の先生とは一切交流がなかったのに、不思議です。

私は高校の時、そもそも情報学科でパソコンについては高校の時に一通りやっていたので、大学の情報学科は正直面白くなかった。
大学に行ったのはただ何となく。
特に何かやりたいこともなかったし、大卒の称号だけが目的だったようなもんなので、本当に私の大学生活は空っぽだった。
大学では授業も単位もとらなければいけないし、英語は難しいし、学費のためにアルバイトをしなければいけないし、それなりに忙しかったが中身があったか、今役に立っているかというと皆無な気がする。
だから大学でのキャンパスライフの記憶は驚くほどうっすい。

しかも、この後の人生で会社勤めはほとんどなくて、卒業してすぐに海外に行って、その後結婚して、育児をしながら日本に戻って起業するという人生になる。
大卒という称号も今や全く役に立ってない(笑)
高いお金払って大学に行って中身がなくて、いったい何だったんだろうって、今になって思う。
でも、大学で中国語やっていたから今があるっちゃあるんだけど。

そんな大学生活だった私に、初めて中国に行く機会が訪れる。
大学三年生の夏休み1か月を利用して大学主催の短期語学留学というもの。(学校主催というのは安心)

当時海外はスリランカしか行ったことがなく、中国は初めて。
でも、正直そこまでしゃべれないし、参加するのはかなり迷っていた。

結局中国行を決定したのはアルバイト先でたまたま同じ大学出身の一つ上の方が偶然その短期語学留学へ行っていたという事だった。
彼女もまた外国語専攻ではないのに最後まで残った数少ないもの同士だった。

(長くなるので今日はこれで〆です。)